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zoom RSS 「今日もグッドモーニング」番外:70年前の5月25日は山の手大空襲

<<   作成日時 : 2015/05/24 17:49   >>

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安倍内閣は5月15日二つの法案を閣議決定をし衆院にでしました。自衛隊法や武力攻撃事態法など改正が必要な現行法10本を一つにまとめた「平和安全法制整備法案」と、新たな恒久法で他国の軍隊への後方支援を随時可能にする「国際平和支援法案」の2本です。
両法案が成立すれば、一定条件下での集団的自衛権の行使が可能になるほか、他国軍の後方支援などで自衛隊の役割が飛躍的に拡大する法案です。

歴史認識では、
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昭和7年1932年<5月15日>に海軍の若手将校たちが起こした5・15事件で、当時の総理大臣であった犬養毅が暗殺されました。これを岐路として政党内閣は途絶え、軍部独裁の時代に流れて行きます。
昭和11年1936年<2月26日>に起きた2・26事件では、地方疲弊と格差を憂いた皇道派は政府を倒して天皇によって直接政治が行われる国を作ろうクーデターを蜂起しましたが、昭和天皇はお怒り、「朕、自らが近衛師団を率いて、その鎮圧に当たらん!」そして「奉勅命令」が戒厳司令部に下り、反乱軍兵士に対して速やかに原隊復帰を促すものであり、これにそむく者は逆賊とみなすというものだった。天皇の呼びかけに投降した純真無垢な青年将校達は銃殺の処刑となりました。
この結果、統制派をはじめとする軍部によって、この皇道派は一掃され、以降、陸軍では、統制派が力を付け軍部に歯止めが効かない事になり軍国主義が蔓延る時代に突き進みました。
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吉田松陰の掲げた「正義」や「行動」は、実は危うさをはらんでいたのではないかと、歴史学者の意見もあります。テロを育む説法もあり、松陰は他人に自分の考えを押しつけることが多かったのであろうとの??
また、吉田松陰の目指した教育は 『自分の考えを 相手に伝え、そして相手を変えてしまう事』ではなかろうか?
ここに、長州人気質の怖さが垣間見る。長州人は天皇を尊崇し(尊皇攘夷)、帝国主義が好きなのでは。
長州が生んだ宰相は、伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸 信介、佐藤 栄作、そして安倍晋三の8人。

安倍首相は米議会演説で祖父、岸信介の演説を引用しました。
しかし、岸信介は「大東亜戦争を以(もっ)て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之(こ)れ事実を故意に歪曲(わいきょく)するものなり」と獄中の「断想録」で記しています。更に、「いかに日本を弱体化させるか、いかに日本を再び立ち上がらせないようにするかが、占領政策のすべてであった」(「岸信介証言録」)
この岸の考えを受け継ぐのが、孫の安倍晋三です。

アメリカ軍は、一般民間人を「後方支援」兵として無差別爆撃を行いました。

画像昭和20年1945年5月25日夜から米軍爆撃機B29が渋谷区や赤坂区(今の赤坂から南青山一帯での港区)を標的とした空襲がありました。一帯は焼夷弾による火の海となりました。
今の南青山3丁目?辺りに住み当時私は4歳、兄は5歳で母に手をつなぎ火の海を逃げまわりました。誰が叫んだか朧ながら明治神宮に逃げろと、しかし表参道手前で危険だから外苑に逃げろの声、外苑に向う途中青山墓地が安全だろうの声で墓地に辿り着き墓石にへたりこみ一夜を過ごしました。火の粉で顔が火照りました朧気な記憶があります。
記録では青山赤坂地区は被災率が最も高く、焼けた割合が90%を超えるんではないかといわれるような場所でした。5月25日の空襲で亡くなった人は東京全体で3651名で渋谷区で900名、赤坂区で551名。麻布区で66名。芝区で120名と記録されています。

表参道は焼死体で埋まり、青山通りの地下鉄の鉄路に逃げた方は熱風で亡くなり、そのころ有った青山警察署では荼毘に付されている光景が思い出されます。

表参道入口の石燈炉の周辺では焼夷弾の油跡か、焼死体の油跡か黒く染まった箇所が道が整備されるまで残っておりました。
表参道を正面に見て、左側は安田銀行(今の、みすほ銀行箇所)、右側は山陽堂。


一般市民を巻き込んだ無差別爆撃は、民間人を中心ターゲットにした大虐殺であり、これは「人道に対する罪」の戦争犯罪なのですが、アメリカは単に勝者であるがゆえに、戦争犯罪の宣告をまぬかれています。更に、サンフランシスコ講和条約第19条?に於いて損害賠償請求権を放棄すべきの条約を強いられました。
アメリカ軍は、無差別爆撃を「全ての日本国民は航空機や兵器の製造に携わっている」と正当化しています。
所謂、「後方支援」を叩くのも戦争なのです。
確かに、当時の日本では、国家総動員法や国民徴用令など次々に公布され、銃後に於いても一億総動員で軍需品生産に励めとの戦時体制が固められていました。
と成りますと当時は「日本に民間人は存在しない」とのアメリカ軍の言分を飲みこむしかありません。戦争は理屈は要らない、弱点を突き友軍の兵士を守る為にも敵兵を倒せが軍の教えでもあります。「後方支援」でもリスクは免れません。


朝日新聞天声人語より
「平和な時には子が父の弔いをするが、戦いとなれば父が子を葬らねばならないのだ」
古代ギリシャの歴史家の言葉


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